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フォームが華麗でしなやか!キレが良い球。
この頃ですね。バックネット裏の2階席から見て、上から見下ろしているのに、ボールが浮き上がっているように見えた。今でも覚えている。
3番!もしかして、桐蔭学園の土屋恵三郎選手⁉️
やっぱり江川さんが1番!高校でも大学でもプロでも
以前大学時代の江川が見たくて検索しても全くヒットしなかったのでアップありがとうございました。毎日出て来て流していつも勝つ大学時代の江川のピッチング。
大学時代の貴重な映像があったんだ。
法政江川の試合は全部ライブ観戦しました。1,3,5,7,9に力をいれるとか2死まではカーブ中心とか 完全に組み立てて投げていました。明治打線には 苦しんでました
でも明治大の豊田選手には苦しんだはずw
通算17完封はエグい巨人軍が江川取りに執念を燃やしたのはわかる
しかも甲子園と異なりリーグ戦でこの数字。
極上のストレートとカーブ、それを活かしたコントロールとテンポの良さ。江川卓を語る上で意外に取り上げられないのが守備の上手さと意外にもチーム屈指の俊足であろう。もちろん野手顔負けの打力も。
今の時代に生まれてたらメジャーに行ってる可能性あると思わせてくれる選手ですね
高校時代はノーヒットノーランばかりだったというのも頷ける。
もう既に右腕が上がってこない、出てこないような投げ方に見えるんだが…。それでもこの成績はすごいけど、高校卒業したらさっさとプロに行くべきだった一番悔やまれる選手。大学野球で消耗してる場合じゃなかった…。
流麗で淀みのない見ていて気持ちのいいフォーム。打者から見るとテイクバックも球の出どころも見にくく暗闇からいきなりボールが現れるような打ちにくいフォーム。でもメジャーのスカウトが見るとすぐに怪我をしてしまうフォームだったらしい。
高校通算防御率0.41だから下がってますけどそれでも1.16は凄い数字ですね🤔
高校よりひじが下がって威圧感が無いけどトーナメントじゃないから長丁場なげるには負担を軽くするしかなかったのだろうね。
速さとかは関係ない。とにかくほれぼれする投球フォーム!!
高校・大学・プロと、下位バッターにはキャッチボールのような投げ方で抑えてきた凄み。特に大学時代はほとんど全力投球していないんじゃないかな。大学4年間で47勝51完投って、当時の監督の依存ぶりが異常。
江川さん(法政大学)と原さん(東海大学)の対戦は、当時のスポーツニュースで大きな話題になりました。懐かしいです。
貴重な映像
グリーンフェンス時代の神宮球場の映像が貴重だね。
作新学院の時よりも楽に、投げてるみたいやな。やっぱり高校時代と巨人で20勝して、日本一になった時が一番よかったです!
20勝した年の9回二死から投げる〆のストレートは当時終速と言われたスピードガンでも150キロを超えていて凄まじかったです!
今では珍しい、ワインドアップから、ヒールアップの力感溢れる投球フォーム。
大学時代って高校時代と比べると物足りない印象だったけど、防御率1.16ってとんでもないな、、やっぱり何度でも言うが歴代No. 1投手は江川だ!
ご本人いわく、制球力は大学時代のほうが勝っていたらしい。
そんなに力投している感じがしないコントロールに、気を付けて投げているような、感じがする。防御率1.17は凄い 連投があるなかで。
@@compaqshishido 本人いわく、球の精度は高校<大学<プロ野球だったみたいね。精度は上がっても、ステージが変わるごとに相手打者の質がそれ以上にレベルアップしてたから、打者とのレベルが一番乖離していた高校時代が全盛期だと語る人がいるんじゃないかと分析されてました。
確かに夏の大会の最後に押し出しでのサヨナラ負けとかプロ時代では考えられないコントロールの悪さでしたね。
メジャー含めて?
力感を感じさせないフォームからの速球が魅了。いかにも「目一杯投げました」感がないのが個人的に好きだなあ。オリックスの平井もそんなイメージ。
大学時代は全力で投げたのは一試合に1、2球だったらしいです。原さんもホームラン打った時の球と後の打席で三振に仕留められた球は全く違ったと言ってました。
江川さんの全力投球、高校~大学7年間で5球だけという説もありますね。江川さん、高校~大学と明らかに投げ過ぎだったからなぁ…。
高校時代練習の時1度だけ超本気で投げたら捕手が捕球出来ないばかりか体に大ダメージを負ったという伝説(笑)を聞いたことがあります。
12敗の内、自責点0=1試合、1=1、2=4、3=3、4=3。5敗は連日連投(先発1敗リリーㇷ4敗)ちなみに自責点8で1勝(延長13回)この試合以外自責点3以下で勝利投手。
キャッチボールの延長線上みたいな力感のないゆったりとしたフォームから160㎞近いストレート
大学時代 よくテレビで見てたよ スピードより球筋がビューティフル バッティングがすごかった よくホームラン打ってたよ 香取とか山倉とかもいた
年を重ねるごとに踏み出しが軽くなっていく。消耗を抑えるためかな?
プロ初登板時に近い足をなめらかに高く上げるフォームと高校時代に近い上半身に力が入ったフォーム、二種類ありますね。試行錯誤しているように見えます。
◇素晴らしい第一級資料映像。51/71完投! 異常な数字。4年秋の試合も後輩のため「8回で降板」というゲームがある。
春季夏季ではなく、春季秋季リーグだな。この時代の江川は2年時に肩に重い怪我したが隠して投げ続けたらしく、以降も省エネ(手抜き)投法で乗り切った。ただ此処ぞという時は、早大山倉とか動画の原辰もかすりもせず空振り三振。
たしか1シーズンだけとても不調で防御率が悪いことがありましたね。あれが無ければ通算防御率は余裕で0点台です。
人気投手
1:59東海大学・原貢監督、辰徳選手の父子対法政大学・江川卓投手
高校生の時に意中の球団に入団出来たら良かった。
意中は六大学とか大学だったから、作新時代に巨人指名されても入団したかどうか
@@majeeptueao7280 御本人は自分のチャンネルで当時巨人から指名されても進学してたと言ってますが、微妙な所でしょうね。
巨人に入ってたよ。在京球団、とくに巨人に入ってほしかったのは、親父さんや商売やってた親戚の意向が大きかったらしいから。
@@カナさん-q4g 実は自分もそう思ってます。
掛布さんとの対談では「巨人でも入っていなかった。」と言っている。ホンネかは分からないけど。
西本ほどではないけど、江川も足を高く上げてた時もありましたね。
大学時代は開き気味の省エネ投法だったと思います。それでも抑えられた。でもプロに入っては本腰入れないと勝てないから、しばらく苦労した。
やっぱりそうですよね。全然本気で投げてる感じがしませんもんね。
堀内さんが大学時代の江川投手を観戦して「6〜7割程度の力で投げてる」とレポートしてたのを覚えてます。
アマが木製バットで打てるレベルの投手ではないね。
@@ヒロ-d6z2n そもそもバットに当たらないんだから関係ない説もありますが😂
@@wakuhonchan 当時の金属バットのキューバなら、ある程度対応するかもね
東京六大学野球通算47勝51完投17完封443奪三振ベストナイン6回は凄すぎる六大学は一人だけプロが交じっていた大学進学せずプロに行っていたら200勝は可能だった怪物
ブルペンで投げる際の、後ろからの映像。めちゃくちゃ速くて、恐怖心さえ覚える。あれで、全力投球じゃないんだろうから(フォームを見て判断)、如何に凄かったかが分かる。 2022.11.17 06:42
同じ事思いました
江川さんだけやろドラフト1位を3回あったのはこれはイチローが国民栄誉賞を3回辞退した以上の大記録
今の時代ならパ・リーグのチームでも入団しているよね。高校からそのままプロに行ってたら200勝していただろう。
左足の上げ方が作新学院時代と違うねちょぅと太めになってる腰のキレもやはり高校時代が最高
2番に江川が一目おいた金光がいて。4番は島本耕平の弟がいて。この時のフォームは完成されていて美しい。一時期、足をあまり上げずギャッチボールのように投げていて、高校時代のイメージと違い驚いた。しかしそれでも打たれなかった。
4番は広島商出身の楠原だったと思います。島本は7番くらいだったかと。もっともこれは当時オールスター揃いの法政だからの話で他大学なら余裕で4番だったでしょうが。
貴重な映像ありがとうございます。ブルペンに比べ試合は随分控えめに投げているように見えます。
大学時代は明らかに手を抜いて投げてたけど打たれなかった
この頃の江川投手のピッチングフォームは、藤田省三さん(法政OB、近鉄の初代監督)の影響が大きかったと言われていますね。藤田さんは体を横方向に捻るのを嫌っておられたように思います。
マジでフォーシームの投げ方後輩に教えよう まっすぐ縦回転の球を萎える秘訣があるはず
江川高校の時に阪急に行って欲しかったなあ❗
作新学院高校卒業時のドラフト→阪急ブレーブスから1位指名され入団拒否法政大学卒業時のドラフト→クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)から1位指名され入団拒否作新学院職員(米国・南カリフォルニア大学へ1年間留学して帰国した後のドラフト)→クラウン(西武)との入団交渉期限が終了するドラフト前日の「空白の1日」を利用して、讀賣ジャイアンツと電撃契約するも、セ・リーグ事務局が選手登録を却下。それに抗議の意思を示す為に、巨人が参加をボイコットした翌日のドラフトでは、江川投手と抜け駆けでドラフト前日に契約を行った巨人に抗議する意味で、南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団が1位指名し、抽選の結果、阪神タイガースが入団交渉権を獲得した…
まだちょっと足の動きに高校時代の名残があるけど、どちらかというとプロになってからのフォームに近い。すでに基本は抑え目(手抜き)のピッチングになっていたのか?
高校でもう肘壊してたって話がありますよね
◇高校では壊してないですね。高校の監督が「無事に送り出せて・・・」と話している。大学2年に壊しました(二度ともとに戻らず)。
大学4年の江川。8試合登板、8勝・防御率0.38。ゲームみたいな数字
今年50歳になった私でも全盛期の高校大学をリアルタイムで見れなかった事に対して悔いが残る。
私も、「昭和の怪物」の学生時代(作新学院高・法政大学時代)の投球を生で見てみたかったです。
全力で投げてるように見えずすごく軽い感じ。だが球はすごく伸びる。江川なりに試行錯誤の末このフォームにたどり着いたんだろうな。もしも全力で投げれば160㎞だって出たかもしれないが、江川が望むのはそんな見かけの速さじゃなくキレのある球。今の様にメジャーの門戸が広ければそっちに行ったかもしれないし十分に通用したのでは。
手動式の神宮スコアボード初めて見た
ストレートは大分、セーブして投げてはいるが伸びが素晴らしい。高く足を上げて制球力も抜群ですね。江川の球はホップするなんて言われるが、それだけ生きた伸びのある球だということだ。先輩の山中に並ぶ48勝もできたのだが、後輩の鎗田に先発を譲ったという話です。大学選手権で当時、東海大の1年生原にホームランされたが、その後の打席はすべて三振に取ったという。格の差を見せたといったところか。三振ももっと取れたが、次戦を気にかけてセーブして投げたという余裕を見せた。当時の6大学でも江川は、やはり格が違うということだろう。のちの後輩になる桑田とはくらべものにはならない。
まぁ~大学時代の江川は、肩と肘を温存して投げた様に見えました。それでも大学野球では打たれなかった訳だけど。今でも言われてる江川の全盛期は、高校の作新学園時代だったのではないか?と。私もその当時は是非江川の生の投球を見て見たかったですね。近年ではTVでしか見れて無いですが、甲子園での松坂大輔の投球ですかね。TVで見ても明らかに他高の投手とでは、球速が違って見えましたからね。
何度も見たよ、原辰徳さんと対決
今は江川より球速あるピッチャー何人もいるけど江川のストレートは変化球で打てなかった。特に高めは。
高校時代と投球フォームが変わってるね。のち、プロでもフォームは変わるんだけどリアルで知らない世代なので理由が解からない。なんかあったかな?
力感のないフォームなのに、浮き上がってくるようなボールを軽々と放って。高卒でプロ入りしてたら、どんな記録残してたろうな。
大学1年の頃にはもう高校時代とは投球フォームも変えて全力投球してない。これでも相対的な力関係では無双状態なんだが
法政の一番バッターはいてまえ打線の新井宏昌やね。
江川投手が一年生の時はそうですね。その一つか二つ下の学年には岩井内野手や高代内野手かいたかと。
PL学園高→法政大→南海ホークス→近鉄バファローズ
高代→金光・植松・楠原・徳永・袴田・・・登板する時は怪物が6番か時に4番(泣)。地獄の4連覇(泣)(泣)。どこが勝てるってえんだ(泣)(泣)(泣)。せっかく入ってくれるってえのに植松とこいつを落としたKOの狂気と罪は海よりも深く山よりも深い(恨)(恨)。推薦ちゃんと通して入学するばかりだったのに、江川オヤジにあっさり袖にされた早稲田の赤っ恥も、海よりも深く山よりも高い(恥)(恥)。
これが理想的なフォームと言うのでは?
4年間で約80試合として、その内71試合登板だから、リリーフ登板も含めても、土日はほとんど投げている感じ。さすがにペース配分しないと負担か掛かるだろう。法政時代、シュートを投げているのをテレビ放送で観たが、あれはナチュラルだったのか、打たせて取るための持ち球か今でも分からない。
まぁ地球史上最高の投手なのは間違いないよね。大谷くんよりもストレートは速かった。
2人がマウンドいる時に打席立ったん?
作新学院からクラウンライタ-に入っていたらどうなっていたんだろう
西武ライオンズの江川になってたわけですねw
300勝近くいけそう。打線の援護が必要だけど。
いやーでも西武ライオンズの1、2年目は守りがグチャグチャでしたからね😂あの森繁和投手ですら1年目は5勝しか出来ませんでしたw
当時の審判に言わせるとコントロールの良さでも怪物だったとか。
耳が大きいから、マンガ怪物くんになぞらえて怪物と呼ばれたって?
12敗してることにびっくり。
全ての球が180kmオーバー
金田さんじゃあるまいし(笑)
江川の学生時代のピッチング映像って、何でホーム側から撮ってる映像しかないの?? 作新時代もセンターから撮ってる映像は見たことない。
当時はセンターからの映像は撮ってなくて、全てホーム側からのみ自分はホーム側からの方が打者になって相対している気になれるから昔の方がいいな。
77年に大学4年で日本でセンターカメラ本格導入は78年らしい
まぁまぁ、そう興奮なさらずに…
「空白の1日」
もしかしてその相手は「日刊ゲンダイ」だったんですかね?現役時代に江川さんのことをこんなやつ呼ばわりでボロクソに書いてた記憶があります。
この素晴らしい投球フォーム❕今の菅野投手も見習えば良かったのに。ショボいフォームですよ‼️
江川は高校時代に投げすぎて肩が悲鳴を上げて大学に行ったので更に肩をダメにしてしまった。😂戦後最高の高校生投手と言われていたのにプロで名球界にも入れずだった😢。ある意味勝つための高校&大学の日本では野球なので肩を痛めてしまった。過去にもたくさんの投手がダメになったことがあり私は浪商の尾崎行雄投手だと思っている。大事に登板間隔を開けて投げれば両投手も200勝は軽く突破していただけに残念だ!😂😮
今はどうか知りませんが、当時の高野連の悪き風習だった招待試合で全国あちこちで投げさせられたのも肩を惡くした一因だと思います。
🥵高校時代の練習試合で何球かマネして投げたことがあるが、右膝を地面に着けると強く投げれなかった😂
江川は、何で大学に行ったんだろう?高卒でプロ入りしても、1年目から1軍で活躍できたと思うが。
教育熱心な父の二美夫さんから、大学へ進学する様に、言われていたからです。栃木県宇都宮市の作新学院高校でも、特進コースに在籍されていたそうです。
この頃はまだ太ってますね。プロ入りして20勝した3年目までの方が体が絞まってました。もっともその間地獄の伊東キャンプもありましたからね(笑)
あまり詳しくないですが、高校3年夏までは鬼の指導者の影響もあって絞れてたけれど、慶應大学受験をするにあたって運動量がだいぶ減り、法政大学入学時には当時の法政監督が一目で体が絞り切れてないことがわかるくらいな状態で、1年生の春のリーグ戦はシーズン後半戦での東大戦で試運転くらいしかさせられなかったみたいですね。
覚えてます。一年生の春は東大戦で佃投手と共に1イニングずつリリーフで投げてどちらも無失点でしたね。その後佃投手は殆ど活躍することはなかったですが。。
ホームランもマスターより打ってると思う。
後から見たら、こりゃ打てんわ、と思った。
世界日報www
実は神宮にこの広告があることが産経の関係に繋がるキーになるかもしれません。
当時慶応,立教はスポーツ推薦がなく,法政,明治,早稲田の東京3大学だったたから飛び抜けた成績を残せたんだと思いますよ。大学行かず,プロ入りして欲しかったな
確かに当時のその二校は弱かったですね。それでも慶応の方は松下、萩野、山下大らたまにドラフト1位クラスの逸材がいましたが立教は打線が弱く投手も中村憲、高野らエース格の投手が打たれても打たれてもほぼ全試合一人で投げてる状態でした。
@@wakuhonchan 江川は1年秋のデビュー戦、立教1回戦で汗もかかずに涼しい顔であっさり完封。おそらく手抜き省エネで3分くらいでスイスイだったろうな。これが挨拶代わり。
@@kpo1870 その後東大戦のKOもありましたね😂
@@wakuhonchan 慶應にボロボロに打たれて8失点、それでも勝ち投手、という試合もありました(笑)。
@@kpo1870 多分1シーズンだけ故障で調子の悪かった時でしょうね
47勝12敗。12回も負けたこと自体が信じられない。年に1回しか負けていなかったような印象がある。リーグが異なるけど、関大の山口高志は46勝11敗(→殆ど江川と同じ)。あの山口が11回も負けたが、これも信じられない、山口が負けるだけでトップニュースになった時代だった。いきなりプロ野球の話になるが、楽天田中の24勝0敗、やはりこれは「神の領域」だったということか・・・
それ言っちゃうと山口高投手の全盛期と言われたプロ1年目でさえ12勝10敗くらいしか出来ず、防御率も3点台に近かったと思います。これは当時のプロ野球のレベルが高かったということではなく山口高投手がシーズン前半は不調だったせいだと思います。シーズン後半からグッと調子を上げ、日本シリーズでは広島カープが手も足も出ませんでした。
江川はクラウンライターライオンズや阪急、阪神を拒否したんだから、巨人の次の監督は江川にやらせないと、それと元木もだ
あまり速く無いですね。リリーフがあるから7〜8割でしか投げてない。140キロくらいだわ。
そういえばプロでも1年目は最初ストレートが130キロくらいでしたねwよくあんな未調整でデビューさせたものです。
「よっこいしょ」て感じで投げてるのにあのスピードとキレ(ホップ)読売(ナベツネ)がルール違反しまくりしても巨人に入れたかったのは分らんでもない。
この力感の無いフォームで何故速球が投げられるのか未だに分からない。いや、想像以上の身体の強さと柔軟性なのか…?自分も速球が投げられそうと錯覚して真似をするが全然ムリ!!
一体何キロ出てんの?コントロールも良いし、打てるワケがない。
巨人に入りたての時の水野のフォームにそっくり
日米野球で来日した相手のコーチが水野投手のことを「リトルエガワ」と表現してましたw
高校、大学、プロ全てで活躍した選手は記憶に無いな、それにしても法政の応援はダサい。w
なるほど。大学出でドラフト1位で指名される投手って殆ど高校時代無名が多いですね。つか高校時代凄い投手は松坂やマー君みたいにそのままプロ入りしますからね。江川投手は例外的でした。
adidasのグラブ😂😅😊🎉
どう見ても、速球と思えない。
手抜いてるなこんなもんじゃないけど作新学院時代春まではプロはクソつまらん普通より多少マシな投手レベル
その時期に監督が、変わって練習量がガクッと落ちたんだって。
元祖怪物は江川卓
フォームが華麗でしなやか!キレが良い球。
この頃ですね。バックネット裏の2階席から見て、上から見下ろしているのに、ボールが浮き上がっているように見えた。今でも覚えている。
3番!
もしかして、桐蔭学園の土屋恵三郎選手⁉️
やっぱり江川さんが1番!高校でも大学でもプロでも
以前大学時代の江川が見たくて検索しても全くヒットしなかったのでアップありがとうございました。毎日出て来て流していつも勝つ大学時代の江川のピッチング。
大学時代の貴重な映像があったんだ。
法政江川の試合は全部ライブ観戦しました。1,3,5,7,9に力をいれるとか2死まではカーブ中心とか 完全に組み立てて投げていました。明治打線には 苦しんでました
でも明治大の豊田選手には苦しんだはずw
通算17完封はエグい
巨人軍が江川取りに執念を燃やしたのはわかる
しかも甲子園と異なりリーグ戦でこの数字。
極上のストレートとカーブ、それを活かしたコントロールとテンポの良さ。江川卓を語る上で意外に取り上げられないのが守備の上手さと意外にもチーム屈指の俊足であろう。もちろん野手顔負けの打力も。
今の時代に生まれてたらメジャーに行ってる可能性あると思わせてくれる選手ですね
高校時代はノーヒットノーランばかりだったというのも頷ける。
もう既に右腕が上がってこない、出てこないような投げ方に見えるんだが…。
それでもこの成績はすごいけど、
高校卒業したらさっさとプロに行くべきだった一番悔やまれる選手。
大学野球で消耗してる場合じゃなかった…。
流麗で淀みのない見ていて気持ちのいいフォーム。打者から見るとテイクバックも球の出どころも見にくく暗闇からいきなりボールが現れるような打ちにくいフォーム。でもメジャーのスカウトが見るとすぐに怪我をしてしまうフォームだったらしい。
高校通算防御率0.41だから下がってますけどそれでも1.16は凄い数字ですね🤔
高校よりひじが下がって威圧感が無いけどトーナメントじゃないから長丁場なげるには負担を軽くするしかなかったのだろうね。
速さとかは関係ない。とにかくほれぼれする投球フォーム!!
高校・大学・プロと、下位バッターにはキャッチボールのような投げ方で抑えてきた凄み。特に大学時代はほとんど全力投球していないんじゃないかな。大学4年間で47勝51完投って、当時の監督の依存ぶりが異常。
江川さん(法政大学)と原さん(東海大学)の対戦は、当時のスポーツニュースで大きな話題になりました。
懐かしいです。
貴重な映像
グリーンフェンス時代の神宮球場の映像が貴重だね。
作新学院の時よりも楽に、投げてる
みたいやな。やっぱり高校時代と
巨人で20勝して、日本一になった
時が一番よかったです!
20勝した年の9回二死から投げる〆のストレートは当時終速と言われたスピードガンでも150キロを超えていて凄まじかったです!
今では珍しい、ワインドアップから、ヒールアップの力感溢れる投球フォーム。
大学時代って高校時代と比べると物足りない印象だったけど、防御率1.16ってとんでもないな、、やっぱり何度でも言うが歴代No. 1投手は江川だ!
ご本人いわく、制球力は大学時代のほうが勝っていたらしい。
そんなに力投している
感じがしない
コントロールに、気を付けて投げているような、感じがする。
防御率1.17は
凄い 連投があるなかで。
@@compaqshishido 本人いわく、球の精度は高校<大学<プロ野球だったみたいね。精度は上がっても、ステージが変わるごとに相手打者の質がそれ以上にレベルアップしてたから、打者とのレベルが一番乖離していた高校時代が全盛期だと語る人がいるんじゃないかと分析されてました。
確かに夏の大会の最後に押し出しでのサヨナラ負けとかプロ時代では考えられないコントロールの悪さでしたね。
メジャー含めて?
力感を感じさせないフォームからの速球が魅了。いかにも「目一杯投げました」感がないのが個人的に好きだなあ。オリックスの平井もそんなイメージ。
大学時代は全力で投げたのは一試合に1、2球だったらしいです。原さんもホームラン打った時の球と後の打席で三振に仕留められた球は全く違ったと言ってました。
江川さんの全力投球、高校~大学7年間で5球だけという説もありますね。
江川さん、高校~大学と明らかに投げ過ぎだったからなぁ…。
高校時代練習の時1度だけ超本気で投げたら捕手が捕球出来ないばかりか体に大ダメージを負ったという伝説(笑)を聞いたことがあります。
12敗の内、自責点0=1試合、1=1、2=4、3=3、4=3。
5敗は連日連投(先発1敗リリーㇷ4敗)
ちなみに自責点8で1勝(延長13回)この試合以外自責点3以下で勝利投手。
キャッチボールの延長線上みたいな力感のないゆったりとしたフォームから160㎞近いストレート
大学時代 よくテレビで見てたよ スピードより球筋がビューティフル バッティングがすごかった よくホームラン打ってたよ 香取とか山倉とかもいた
年を重ねるごとに踏み出しが軽くなっていく。消耗を抑えるためかな?
プロ初登板時に近い足をなめらかに高く上げるフォームと高校時代に近い上半身に力が入ったフォーム、二種類ありますね。
試行錯誤しているように見えます。
◇素晴らしい第一級資料映像。51/71完投! 異常な数字。
4年秋の試合も後輩のため「8回で降板」というゲームがある。
春季夏季ではなく、春季秋季リーグだな。この時代の江川は2年時に肩に重い怪我したが隠して投げ続けたらしく、以降も省エネ(手抜き)投法で乗り切った。ただ此処ぞという時は、早大山倉とか動画の原辰もかすりもせず空振り三振。
たしか1シーズンだけとても不調で防御率が悪いことがありましたね。あれが無ければ通算防御率は余裕で0点台です。
人気投手
1:59
東海大学・原貢監督、辰徳選手の父子対法政大学・江川卓投手
高校生の時に意中の球団に入団出来たら良かった。
意中は六大学とか大学だったから、作新時代に巨人指名されても入団したかどうか
@@majeeptueao7280
御本人は自分のチャンネルで当時巨人から指名されても進学してたと言ってますが、微妙な所でしょうね。
巨人に入ってたよ。
在京球団、とくに巨人に入ってほしかったのは、親父さんや商売やってた親戚の意向が大きかったらしいから。
@@カナさん-q4g
実は自分もそう思ってます。
掛布さんとの対談では「巨人でも入っていなかった。」と言っている。ホンネかは分からないけど。
西本ほどではないけど、江川も足を高く上げてた時もありましたね。
大学時代は開き気味の省エネ投法だったと思います。それでも抑えられた。
でもプロに入っては本腰入れないと勝てないから、しばらく苦労した。
やっぱりそうですよね。全然本気で投げてる感じがしませんもんね。
堀内さんが大学時代の江川投手を観戦して「6〜7割程度の力で投げてる」とレポートしてたのを覚えてます。
アマが木製バットで打てるレベルの投手ではないね。
@@ヒロ-d6z2n
そもそもバットに当たらないんだから関係ない説もありますが😂
@@wakuhonchan
当時の金属バットのキューバなら、ある程度対応するかもね
東京六大学野球通算47勝51完投17完封443奪三振ベストナイン6回は凄すぎる
六大学は一人だけプロが交じっていた
大学進学せずプロに行っていたら200勝は可能だった怪物
ブルペンで投げる際の、後ろからの映像。めちゃくちゃ速くて、恐怖心さえ覚える。あれで、全力投球じゃないんだろうから(フォームを見て判断)、如何に凄かったかが分かる。 2022.11.17 06:42
同じ事思いました
江川さんだけやろドラフト1位を3回あったのは
これはイチローが国民栄誉賞を
3回辞退した以上の
大記録
今の時代ならパ・リーグのチームでも入団しているよね。
高校からそのままプロに行ってたら200勝していただろう。
左足の上げ方が作新学院時代と違うね
ちょぅと太めになってる
腰のキレもやはり高校時代が最高
2番に江川が一目おいた金光がいて。
4番は島本耕平の弟がいて。
この時のフォームは完成されていて美しい。
一時期、足をあまり上げずギャッチボールのように投げていて、高校時代のイメージと違い驚いた。しかしそれでも打たれなかった。
4番は広島商出身の楠原だったと思います。島本は7番くらいだったかと。もっともこれは当時オールスター揃いの法政だからの話で他大学なら余裕で4番だったでしょうが。
貴重な映像ありがとうございます。ブルペンに比べ試合は随分控えめに投げているように見えます。
大学時代は明らかに手を抜いて投げてたけど打たれなかった
この頃の江川投手のピッチングフォームは、藤田省三さん(法政OB、近鉄の初代監督)の影響が大きかったと言われていますね。藤田さんは体を横方向に捻るのを嫌っておられたように思います。
マジでフォーシームの投げ方後輩に教えよう まっすぐ縦回転の球を萎える秘訣があるはず
江川高校の時に阪急に行って欲しかったなあ❗
作新学院高校卒業時のドラフト
→阪急ブレーブスから1位指名され入団拒否
法政大学卒業時のドラフト
→クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)から1位指名され入団拒否
作新学院職員(米国・南カリフォルニア大学へ1年間留学して帰国した後のドラフト)
→クラウン(西武)との入団交渉期限が終了するドラフト前日の「空白の1日」を利用して、讀賣ジャイアンツと電撃契約するも、セ・リーグ事務局が選手登録を却下。それに抗議の意思を示す為に、巨人が参加をボイコットした翌日のドラフトでは、江川投手と抜け駆けでドラフト前日に契約を行った巨人に抗議する意味で、南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団が1位指名し、抽選の結果、阪神タイガースが入団交渉権を獲得した…
まだちょっと足の動きに高校時代の名残があるけど、どちらかというとプロになってからのフォームに近い。
すでに基本は抑え目(手抜き)のピッチングになっていたのか?
高校でもう肘壊してたって話がありますよね
◇高校では壊してないですね。
高校の監督が「無事に送り出せて・・・」と話している。
大学2年に壊しました(二度ともとに戻らず)。
大学4年の江川。8試合登板、8勝・防御率0.38。ゲームみたいな数字
今年50歳になった私でも全盛期の高校大学をリアルタイムで見れなかった事に対して悔いが残る。
私も、「昭和の怪物」の学生時代(作新学院高・法政大学時代)の投球を生で見てみたかったです。
全力で投げてるように見えずすごく軽い感じ。だが球はすごく伸びる。江川なりに試行錯誤の末このフォームにたどり着いたんだろうな。もしも全力で投げれば160㎞だって出たかもしれないが、江川が望むのはそんな見かけの速さじゃなくキレのある球。今の様にメジャーの門戸が広ければそっちに行ったかもしれないし十分に通用したのでは。
手動式の神宮スコアボード初めて見た
ストレートは大分、セーブして投げてはいるが伸びが素晴らしい。高く足を上げて制球力も抜群ですね。江川の球はホップするなんて言われるが、それだけ生きた伸びのある球だということだ。先輩の山中に並ぶ48勝もできたのだが、後輩の鎗田に先発を譲ったという話です。大学選手権で当時、東海大の1年生原にホームランされたが、その後の打席はすべて三振に取ったという。格の差を見せたといったところか。三振ももっと取れたが、次戦を気にかけてセーブして投げたという余裕を見せた。当時の6大学でも江川は、やはり格が違うということだろう。のちの後輩になる桑田とはくらべものにはならない。
まぁ~大学時代の江川は、肩と肘を温存して投げた様に見えました。それでも大学野球では打たれなかった訳だけど。今でも言われてる江川の全盛期は、高校の作新学園時代だったのではないか?と。私もその当時は是非江川の生の投球を見て見たかったですね。近年ではTVでしか見れて無いですが、甲子園での松坂大輔の投球ですかね。TVで見ても明らかに他高の投手とでは、球速が違って見えましたからね。
何度も見たよ、原辰徳さんと対決
今は江川より球速あるピッチャー何人もいるけど江川のストレートは変化球で打てなかった。特に高めは。
高校時代と投球フォームが変わってるね。
のち、プロでもフォームは変わるんだけどリアルで知らない世代なので理由が解からない。なんかあったかな?
力感のないフォームなのに、浮き上がってくるようなボールを軽々と放って。
高卒でプロ入りしてたら、どんな記録残してたろうな。
大学1年の頃にはもう高校時代とは投球フォームも変えて全力投球してない。
これでも相対的な力関係では無双状態なんだが
法政の一番バッターはいてまえ打線の新井宏昌やね。
江川投手が一年生の時はそうですね。その一つか二つ下の学年には岩井内野手や高代内野手かいたかと。
PL学園高→法政大→南海ホークス→近鉄バファローズ
高代→金光・植松・楠原・徳永・袴田・・・登板する時は怪物が6番か時に4番(泣)。地獄の4連覇(泣)(泣)。どこが勝てるってえんだ(泣)(泣)(泣)。せっかく入ってくれるってえのに植松とこいつを落としたKOの狂気と罪は海よりも深く山よりも深い(恨)(恨)。推薦ちゃんと通して入学するばかりだったのに、江川オヤジにあっさり袖にされた早稲田の赤っ恥も、海よりも深く山よりも高い(恥)(恥)。
これが理想的なフォームと言うのでは?
4年間で約80試合として、その内71試合登板だから、リリーフ登板も含めても、土日はほとんど投げている感じ。さすがにペース配分しないと負担か掛かるだろう。法政時代、シュートを投げているのをテレビ放送で観たが、あれはナチュラルだったのか、打たせて取るための持ち球か今でも分からない。
まぁ地球史上最高の投手なのは間違いないよね。大谷くんよりもストレートは速かった。
2人がマウンドいる時に打席立ったん?
作新学院からクラウンライタ-に入っていたらどうなっていたんだろう
西武ライオンズの江川になってたわけですねw
300勝近くいけそう。打線の援護が必要だけど。
いやーでも西武ライオンズの1、2年目は守りがグチャグチャでしたからね😂あの森繁和投手ですら1年目は5勝しか出来ませんでしたw
当時の審判に言わせるとコントロールの良さでも怪物だったとか。
耳が大きいから、マンガ怪物くんになぞらえて怪物と呼ばれたって?
12敗してることにびっくり。
全ての球が180kmオーバー
金田さんじゃあるまいし(笑)
江川の学生時代のピッチング映像って、何でホーム側から撮ってる映像しかないの?? 作新時代もセンターから撮ってる映像は見たことない。
当時はセンターからの映像は撮ってなくて、全てホーム側からのみ
自分はホーム側からの方が打者になって相対している気になれるから昔の方がいいな。
77年に大学4年で日本でセンターカメラ本格導入は78年らしい
まぁまぁ、そう興奮なさらずに…
「空白の1日」
もしかしてその相手は「日刊ゲンダイ」だったんですかね?現役時代に江川さんのことをこんなやつ呼ばわりでボロクソに書いてた記憶があります。
この素晴らしい投球フォーム❕今の菅野投手も見習えば良かったのに。ショボいフォームですよ‼️
江川は高校時代に投げすぎて肩が悲鳴を上げて大学に行ったので更に肩をダメにしてしまった。😂戦後最高の高校生投手と言われていたのにプロで名球界にも入れずだった😢。ある意味勝つための高校&大学の日本では野球なので肩を痛めてしまった。過去にもたくさんの投手がダメになったことがあり私は浪商の尾崎行雄投手だと思っている。大事に登板間隔を開けて投げれば両投手も200勝は軽く突破していただけに残念だ!😂😮
今はどうか知りませんが、当時の高野連の悪き風習だった招待試合で全国あちこちで投げさせられたのも肩を惡くした一因だと思います。
🥵高校時代の練習試合で何球かマネして投げたことがあるが、右膝を地面に着けると強く投げれなかった😂
江川は、何で大学に行ったんだろう?
高卒でプロ入りしても、1年目から1軍で活躍できたと思うが。
教育熱心な父の二美夫さんから、大学へ進学する様に、言われていたからです。
栃木県宇都宮市の作新学院高校でも、特進コースに在籍されていたそうです。
この頃はまだ太ってますね。プロ入りして20勝した3年目までの方が体が絞まってました。もっともその間地獄の伊東キャンプもありましたからね(笑)
あまり詳しくないですが、高校3年夏までは鬼の指導者の影響もあって絞れてたけれど、慶應大学受験をするにあたって運動量がだいぶ減り、法政大学入学時には当時の法政監督が一目で体が絞り切れてないことがわかるくらいな状態で、1年生の春のリーグ戦はシーズン後半戦での東大戦で試運転くらいしかさせられなかったみたいですね。
あまり詳しくないですが、高校3年夏までは鬼の指導者の影響もあって絞れてたけれど、慶應大学受験をするにあたって運動量がだいぶ減り、法政大学入学時には当時の法政監督が一目で体が絞り切れてないことがわかるくらいな状態で、1年生の春のリーグ戦はシーズン後半戦での東大戦で試運転くらいしかさせられなかったみたいですね。
覚えてます。一年生の春は東大戦で佃投手と共に1イニングずつリリーフで投げてどちらも無失点でしたね。その後佃投手は殆ど活躍することはなかったですが。。
ホームランもマスターより打ってると思う。
後から見たら、こりゃ打てんわ、と思った。
世界日報www
実は神宮にこの広告があることが産経の関係に繋がるキーになるかもしれません。
当時慶応,立教はスポーツ推薦がなく,法政,明治,早稲田の東京3大学だったたから飛び抜けた成績を残せたんだと思いますよ。大学行かず,プロ入りして欲しかったな
確かに当時のその二校は弱かったですね。それでも慶応の方は松下、萩野、山下大らたまにドラフト1位クラスの逸材がいましたが立教は打線が弱く投手も中村憲、高野らエース格の投手が打たれても打たれてもほぼ全試合一人で投げてる状態でした。
@@wakuhonchan 江川は1年秋のデビュー戦、立教1回戦で汗もかかずに涼しい顔であっさり完封。おそらく手抜き省エネで3分くらいでスイスイだったろうな。これが挨拶代わり。
@@kpo1870
その後東大戦のKOもありましたね😂
@@wakuhonchan 慶應にボロボロに打たれて8失点、それでも勝ち投手、という試合もありました(笑)。
@@kpo1870
多分1シーズンだけ故障で調子の悪かった時でしょうね
47勝12敗。
12回も負けたこと自体が信じられない。
年に1回しか負けていなかったような印象がある。
リーグが異なるけど、関大の山口高志は46勝11敗(→殆ど江川と同じ)。
あの山口が11回も負けたが、これも信じられない、山口が負けるだけでトップニュースになった時代だった。
いきなりプロ野球の話になるが、楽天田中の24勝0敗、やはりこれは「神の領域」だったということか・・・
それ言っちゃうと山口高投手の全盛期と言われたプロ1年目でさえ12勝10敗くらいしか出来ず、防御率も3点台に近かったと思います。
これは当時のプロ野球のレベルが高かったということではなく山口高投手がシーズン前半は不調だったせいだと思います。シーズン後半からグッと調子を上げ、日本シリーズでは広島カープが手も足も出ませんでした。
江川はクラウンライターライオンズや阪急、阪神を拒否したんだから、巨人の次の監督は江川にやらせないと、それと元木もだ
あまり速く無いですね。リリーフがあるから7〜8割でしか投げてない。140キロくらいだわ。
そういえばプロでも1年目は最初ストレートが130キロくらいでしたねwよくあんな未調整でデビューさせたものです。
「よっこいしょ」
て感じで投げてるのに
あのスピードとキレ(ホップ)
読売(ナベツネ)がルール違反しまくりしても
巨人に入れたかったのは
分らんでもない。
この力感の無いフォームで何故速球が投げられるのか未だに分からない。
いや、想像以上の身体の強さと柔軟性なのか…?
自分も速球が投げられそうと錯覚して真似をするが全然ムリ!!
一体何キロ出てんの?コントロールも良いし、打てるワケがない。
巨人に入りたての時の水野のフォームにそっくり
日米野球で来日した相手のコーチが水野投手のことを「リトルエガワ」と表現してましたw
高校、大学、プロ全てで活躍した選手は記憶に無いな、それにしても法政の応援はダサい。w
なるほど。大学出でドラフト1位で指名される投手って殆ど高校時代無名が多いですね。つか高校時代凄い投手は松坂やマー君みたいにそのままプロ入りしますからね。江川投手は例外的でした。
adidasのグラブ😂😅😊🎉
どう見ても、速球と思えない。
手抜いてるな
こんなもんじゃないけど作新学院時代春までは
プロはクソつまらん普通より多少マシな投手レベル
その時期に監督が、変わって練習量がガクッと落ちたんだって。
元祖怪物は江川卓